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週報
Weekly Report

公開日:2024/2/6 第2922回例会  内容:第2921回(2024/1/30)レポート

例会予定

**第2922回例会のスケジュール**
2/6(火)卓話 講師:船木 洋平 様(株式会社 船木JUKU)  演題:「真の健康増進」 会場:THETA MU(シータミュー)

**次回以降のスケジュール**
2/13(火)定款の規定により休会
2/20(火)定款の規定により休会
2/27(火)例会振替 2/21(水)第3グループIM 受付13:30 点鐘14:00 会場:ホテル・ヘリテイジ飯能sta.
3/5(火)卓話 講師:未定  演題:「未定」 会場:THETA MU(シータミュー)
3/12(火)例会振替 3/16(土)・17(日)地区大会 会場:埼玉グランドホテル深谷深谷市民文化会館

会長の時間

五十嵐 俊昭会長

皆さん、こんにちは。まずお詫び申し上げます。私は2日前から体調が悪く、ひどく咳が出てしまいましたのでお聞き苦しいかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。申し訳ありませんが、ご理解いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。今週と先週とで気温の変動が激しく、私もこうした気象の変化で体調を崩してしまいました。皆さんもお気をつけてお過ごしください。

今日の卓話では、武藤パスト会長にお話をお願いしております。テーマは「ロータリーとは」で、私もまだまだ理解が不足している部分があります。今日のお話を通じて、本来のロータリー活動について改めて学びたいと思います。新しい発見も期待しています。

今年から、会社と個人的な年賀状を送らないことに決めました。今年いただいた年賀状についてはお返しする形をとり、今後は年賀状を発送しないことになりました。この結論に至るまで、会社の社員たちと話し合いを重ねましたが、今後の人間関係がどのように変わるかや、どうなっていくのかについては、少し不安を感じています。

現時点では大きな不都合は生じていませんが、これまでの慣習とは異なる行動を取ることになるため、今後の1年や2年を通じて状況を見守る必要があると考えています。今日はこの辺りでお話を終わりにさせていただきます。ありがとうございました。

幹事報告

道口 泰己幹事

皆様、こんにちは。それでは、幹事報告をさせていただきます。
【例会予定】
2月6日火曜日の例会は卓話です。講師に株式会社船木JUKU、代表取締役 船木 洋平様にお願いしておりますと。演題は「真の健康増進」です。
2月13日、2月20日は、定款の規定により休会です。
2月27日火曜日の例会は、2月21日水曜日の第3グループIMの例会振替となっております。来年度、倉片さんがガバナー補佐になられます。ですので、ぜひ、今年度のIMに皆様参加していただくようよろしくお願いいたします。


【地区より】
ロータリーの友委員会委員長、高野孫左ヱ門さんから、パズルdeロータリーの当選および商品発送のお知らせと記載された郵便が届きました。

手紙の内容は以下の通りです。「いつもロータリーの友をご愛読いただきましてありがとうございます。この度は、パズルdeロータリー11月号にご応募いただきまして、どうもありがとうございました。当選の結果、おめでとうございます。商品として三菱鉛筆のタッチペンを送付させていただきます。なお、当選者の発表に合わせ、パズルの答えに関連した解説をロータリーの友2月号、横組44ページに掲載しておりますので、ご一読いただければ幸いです。」次回のロータリーの友の発表者は横組44ページを気を付けて発表していただきたいです。今回の当選者は、広報・雑誌委員長の斉藤さんがパズルdeロータリーに応募し見事当選しました。新しいメンバーがいろいろなことに積極的に参加することに、刺激を受けました。斉藤さんにおめでとうございます。賞品は後ほどお渡しいたします。以上が幹事報告の内容でございます。ありがとうございました。

委員会報告

職業奉仕委員会
平岩 敏和 さん

職業奉仕委員長の平岩です。少し先の予定ですが4月16日の火曜日に、企業見学を行う予定です。場所はさいたま造幣局で、新都心にあります。この造幣局では、お札ではなくコインの製造が行われています。コインだけでなく、叙勲やオリンピックのメダルなど、様々な記念品が製造されています。面白くて興味深い見学が期待できると思います。ご参加いただければ嬉しいです。

見学が終了した後は、昼食をかねて老舗のウナギの料亭で美味しい料理を楽しみたいと考えています。通常例会は私はあまり参加することができないのですが、皆様にお願いすることは心苦しいですが、それを取り戻すべく、1日を楽しい時間にするため、精一杯、楽しく素晴らしい企画にするよう努めますので、ぜひご参加いただければ嬉しいです。詳細が決まり次第、ご案内差し上げますので、どうぞよろしくお願いいたします。以上でございます。

スマイルボックス

スマイルボックス委員会
柳 麻貴 副委員長

五十嵐年度:417,500円

五十嵐 俊昭さん。
先日から咳が止まらず、体調が悪く、お聞きづらい点が多くあると思いますが、よろしくお願いいたします。

鳥居 由美子さん
今日は、武藤さんからスピーチなので、オシャレをしてきました。楽しみにしております。

道口 泰己さん
今年度は詳しくは言えませんが、色々大変です。でも、頑張ります。

内田 勉さん
今日駐車場のためワルツに行って、例会場に来るときに昔のガールフレンドにばったり会いました。やはり、所沢は狭いですね。

池田 安弘さん
武藤さんご苦労様です。今日は楽しみに例会に来ました。別件ですが、2月28日飯能グリーンの同好会ゴルフに参加のお返事がまだの方は、ご出席の返事をお願いいたします。

見澤 孝一さん
ニコニコ少ないとのことなので、ニコニコします。五十嵐さん残り半分頑張ってください。

市川 雅已さん。
先週は不動産コンサルタント資格更新研修のため欠席して申し訳ございませんでした。私が重病説が流れたそうですが至って元気です。今後ともよろしくお願いいたします。

二上 昌弘さん。
2月、3月は、ニコニコできる例会が1回ずつしかありません。皆様のご協力をお願いいたします。

栗田 峰至さん
私事ですが、1月1日に入籍いたしました。2つ目のバツがつかないよう、生活に気をつけます。

井関 克行さん
武藤さん、本日の卓話は楽しみにしております。勉強させていただきます。

見沢 英一さん。
本日の卓話、楽しみにしています。1から勉強させていただきます。よろしくお願いいたします。

橋本 幹男さん
武藤さん 本日の卓話よろしくお願いいたします。「ロータリーとは」改めて勉強させていただきます。

本橋 敬明さん
本日の例会楽しみにしておりましたが、あいにく資格の更新講習会となり、例会を欠席いたします。武藤さんのお話を聞けなくて、とても残念です。

中村 有佑 さん
昨年の12月急に思い立って禁煙を始め、今も続いているので、ニコニコします。

鈴木 崇文さん。
今年に入って、株価上昇し、気分がいいので、ニコニコします。

吉田 慶さん。
武藤さん、本日は卓話を引き受けてくださり、誠にありがとうございます。楽しみにしております。

木下 広敬 さん。
今日から1週間毎日新年会です。体調に気を付けて頑張ります。

斉藤 祐次さん。
今年初の出席です。本年もよろしくお願いいたします。特に何もありませんが、ニコニコします。

瀬戸山 達郎さん。
先日、長男が結婚いたしました。もういいお嫁さんが来てくれて嬉しいので、ニコニコします。

原 卓矢さん。
武藤さん、本日の卓話よろしくお願いいたします。新入会員として、勉強させていただきます。


先ほど、二上さんからもございましたが、2月、3月は、ニコニコできる例会が1回ずつしかございませんので、2月6日、ぜひ、皆様、よろしくお願いいたします。

入籍の報告

栗田 峰至さん

皆さん、こんにちは。お時間をいただき、ありがとうございます。先ほどの発表通り、私は1月1日にかねてからお付き合いしていた女性と入籍いたしました。ありがとうございます。

ご存知の方も多いかもしれませんが、私は以前に離婚経験がありますので、今回は2度目の離婚を避けるためにしっかりとやっていきたいと考えています。社会的には2回目の離婚は自分に責任があると感じられることが多いようです。この点においても慎重に進め、頑張っていきたいと思います。お時間をいただき、ありがとうございました。

出席率発表

出席向上委員会
瀬戸山 達郎 委員長

総数:62名
出席:39名(うちZoom0名)
欠席:23名

本日の出席率:66.1%

卓話:「ロータリーとは」

講師紹介:橋本 幹男プログラム委員長

以前、中井パスト会長にもお願いしましたが、新しいメンバーが増えてきて、「ロータリーは何か」「どのようにして成り立ってきたのか」といった話を聞く機会が少ないのではないかと感じます。また、お互いをより深く知り合い、交流を深めるためには、立ち話などを通してお話を聞くことが一番だと考えています。先輩メンバーをよく知るということを含めて先輩卓話として、年間で3回ほどスケジュールを組んでいます。

今回が2回目となり、吉田副委員長セレクトで武藤さんにお願いをし快く引き受けてくださいました。今回の卓話のテーマは「ロータリーとは」ですが、正直なところ、私も何となくやっている感じで、完璧ではないと自覚しています。

ぜひお話を聞いていただき、これからの活動において一助にしていただければと思います。以上です。

講師:武藤 力夫 パスト会長

皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました武藤です。

今回、最初に吉田さんから話があり、橋本さんがおっしゃったように、「最近は新しい会員の方がたくさんいらっしゃって、我々年配者がどんな人なのか、どういうことをしているのかというのは、よくわからない方が多い」とお話をいただくことになりました。正直言って、私はあまり快く引き受けたわけではなく、しぶしぶ感がありますが、それをおくみいただきながらお話を聞いていただければと思っております。

今回の卓話では、「ロータリーとは」というお話がありましたが、ロータリーだけの話では30分も持ちません。なので、私の趣味であるゴルフについても後半で少しお話させていただきます。それでは、よろしくお願いいたします。

まず、私がロータリーに入会したのは昭和58年2月1日で、当時はまだ37歳。髪の毛もふさふさで、まさに若々しい頃でしたが、40年が経つとこうなるものですね。皆さんもお気をつけくださいということで、冗談を交えながら話させていただきます。

私の推薦人は平岡徳次郎さんで、ご存知の方もいるかもしれませんが、彼は既にお亡くなりになっています。平岡さんとは仕事の関係で知り合いました。仕事終わりに彼から「武藤くん、僕が推薦するから、所沢ロータリークラブに入ったらどうだ」と言われ、ただし当時はまだ37歳で若かったので、躊躇していました。しかし、父親に相談すると、「そう言ってもらう時が時期なんだから、入ってもらったらどうか」とのアドバイスを受け、入会することになりました。当時の職業分類は不動産管理業で、主にマンションや店舗の賃貸、駐車場の賃貸、所沢市に学童保育を賃貸し、太陽光発電の施設の運営も行っていました。

私の年齢は昭和21年8月生まれで、現在77歳。入会当時の会長は、現在の井関さんのおじいさんで、本当にダンディで優しい方でした。井関さんからの印象的な言葉は、「ロータリーは仕事の言葉とは違う。パスト会長やエレクトなど、言葉が異なるので、親睦行事や地区の行事に参加しながら2、3年かけて覚えるのが良い」というアドバイスでした。これを受け、2、3年間真面目に親睦行事や地区の行事に参加し、少しずつ理解を深めることができました。

それで、当時37歳で一人だけだった私は本当に心細かったです。しかし、1ヶ月後に新井さんが入会し、同い年の37歳の仲間ができたことで、なんとか頑張っていこうという気持ちになりました。

当時、クラブの会員数は約80名ほどで、その中には今もご活躍されている会員さんのお父さんやおじさんがいらっしゃいました。具体的には、井関さんのおじいさん、市川雅巳さんのお父さん、井花さんのおじいさん・お父さん、岩下先生の義理のお父さんである伊藤先生、内田さんのお父さん、梅沢さんのお父さん、木下さんのお父さん、加藤さんのお父さん、鳥居さんのお父さん、平岩さんのお父さん、二上さんのおじいさんとお父さん、増田さんのお父さん、見澤孝一さんのお父さんが含まれていました。その当時、所沢の経済界や政治などを牽引するような方々ばかりで、私たち37歳のメンバーは大変な思いをしました。

会場は、現在埼玉りそなさんがある場所が再開発される前は埼玉銀行で、埼玉銀行の2階を例会場として利用されていました。当時の会員数は、先ほどお話した通り80名ほどで、数年後にはピークで100名を超えました。事務局も埼玉銀行の2階をお借りし、長らく利用させていただきました。興味深い話や少し危ない出来事もありました。例えば、月に1回の例会で必ず白ワインが出ることがあったのですが、当時は飲酒運転が厳しく取り締まられておらず、事故も少なかったため、幸いにも問題はなかったです。数年が経過した頃、私はSAAのお手伝いをする立場となり、例会場の設営や片付けも行いました。

当時のSAAは例会が始まると事務局の部屋で食事をとっていたのですが、そのため例会や卓話をほとんど聞いたことがありませんでした。その時期、SAAは約3人ほどで、別室で食事し、先輩たちのお話を聞くという日々が続きました。当時は市内に仕出し屋が数軒あり、それぞれから順番にお弁当を取り寄せていました。ある日、2つの業者からお弁当が届いてしまい、どうしようか迷った結果、一つは皆で食べ、もう一つはお土産として持ち帰るという、ちょっとした面白いエピソードもありました。

先週、クラブ協議会で道口幹事が「炉辺会合」という話をされましたが、入会当時も炉辺会合が活発に行われており、新旧の会員が交流し、意思疎通が図られていました。飲み会でも盛んに行われ、道口幹事が言われた通り、炉辺会合は非常に重要なものだと感じています。

1番厳しかったのは、出席率とメイキャップでした。欠席すると、必ず各クラブに行ってメイキャップをすることが求められ、そのたびに各クラブを訪れてメイキャップを行った記憶があります。現在の親睦旅行の例会変更とは異なり、当時は数年でその制度が終了しましたが、親睦旅行の参加者が半数以上いないと例会変更が認められないという厳しい時期もありました。この際、半数未満の参加者は所沢で例会を行う措置が取られていました。出席とメイキャップに対する要求が非常に厳しかった時期であり、数年でその制度も終了したことを思い出しています。

また、ロータリー歴において最も失敗した出来事があります。25周年事業の一環として、西武ライオンズの森監督を講師に招いたことがありました。私はその際、司会進行を担当し、森監督の紹介を行う場面がありました。しかし、紹介の際に「西武ライオンズ球場監督の森さん」と言ってしまったのです。当時は気づかずに正しく紹介できたのか不安でしたが、森監督が壇上に上がり、「ただいまご紹介いただきました西武ライオンズ球場監督の森ではなくて、西武ライオンズ監督の森です」と訂正されました。本当に恥ずかしい瞬間で、失礼なことをしてしまったと反省しています。

その後、様々な委員会や委員長を拝命し、13年間で4大奉仕委員長をつとめ、全てに携わらせていただきました。そして、14年目には、当時の会長である照沼虎三郎さんから声がかかり、51歳で幹事を務めさせていただくことになりました。会長は照沼虎三郎さん、副会長はみなさんご存知の荻野巳喜雄さんのお父さんである荻野孝太郎さんでした。私たちは3人でクラブを運営しました。

当時、クラブとしては国際大会に積極的に参加しており、国際大会への派遣も盛んでした。ただし、国際大会の登録料が高額であったため、我々が参加した際には、1、2名だけが正式に登録され、残りのメンバーは外部から会場を観戦する形となりました。外から見ている中で、地区大会だなと感じながらも、参加できなかった仲間たちと共に、様々な思い出を作りました。

その後、幹事から4年後、55歳の時に会長を仰せつかりました。この時はクラブの創立40周年で、幹事は三上武壽さん、副会長は井口進介さんでした。40周年記念として、実行委員長には駅前の栗原さんが任命されました。彼は川越高校の野球部でピッチャーとして活躍し、モテたという話があるとのことでしたが、その真偽は不明です。40周年記念イベントので何をやるかということになり、パスト会長会・実行委員長の栗原さんと協議を重ねましたが適任者がいませんでした。最後に、「会長、どなたがいないですか」という話になり、考えた末、私の息子の学校の同級生で、若い方は知らないであろうが、私の年代の方は知っているかもしれません。「スリーファンキーズ」という3人組の歌手がいました。その中のリードボーカル、長沢純さんのご子息と知り合いであったため、栗原実行委員長さんと共に、長沢さんの事務所に訪れ、「40周年記念がありますので、お願いできないでしょうか」とお願いしました。その結果、快く引き受けていただけました。

その際、私が最も心配していたのは芸能人のギャラにかかる費用でした。そして、お金のことを恐る恐る尋ねると、長沢さんは、「ロータリクラブが奉仕しているので、私も奉仕しますよ」と言ってくださいました。こうして、40周年記念事業は無事に終了しましたが、奉仕といっていただけましたが、数日後、栗原実行委員長と一緒に長沢さんの事務所を訪れ、気持ちだけのものを贈呈しました。

その頃の40周年の時、ガバナーは小池英輔さんで、私はこれまで40人近いガバナーさんとお会いしましたが、中井パストガバナー以外では、この小池さんが一番印象に残るパストガバナーです。その理由は、非常に人の出会いを大切にしているからです。具体的なエピソードとして、年度が終わって終わりに近づいた時、小池さんが「せっかくみんな代表分区で、会長、幹事さんとは色々親しくなったんで、これで終わるのはもったいないから、私もゴルフが好きなんで、ゴルフ会でもやりませんか」という提案がありました。第3グループの会長や幹事もこれに賛同し、年1回のゴルフ会を開催しました。もちろん、人数が足りない部分もあり、この際には所沢RCの会員の方にも協力を仰ぎ、長らく年に1回のペースで続けてきました。しかし、小池英輔パストが急逝されたことで、その活動も終了することとなりました。印象的だったのは、何回か開催した中で小池さんが仕事の都合で急に来れない時があった際、朝早くから手土産を持ってきて、わざわざゴルフ場まで足を運び、皆さんに挨拶をしに来られたことです。先ほどお話したように、非常に人の出会いを大切にする方だという印象が強く残っています。

40周年はその節目で終わりましたが、10年後の50周年記念式典では、会長が三上武壽さん、幹事が井口進介さん、実行委員長には木下さんのお父さんである木下宏さんにお願いさせていただきました。その時は前年に東日本大震災があり、寄付金としては現金を東日本大震災に寄付しました。木下実行委員長が記念に残るものを作りたいとの思いを話し、パスト会長会と実行委員会で協議した結果、バナーを制作することに決まりました。現在のバナーは50周年の際に制作され、まだ10数年しか経っていません。新しい会員の方にも、このような歴史を知っていただければ嬉しいです。そして、5年後の55周年では中さんが会長に就任し、パスト会長会で実行委員長を誰にするかがなかなか決まらなかったとのことです。パスト会長会の中で私と中さんが親戚関係にあることから、親戚の武藤が実行委員長ということになったそうです。55周年では近縮予算の中、手作りのイベントを行い、當眞さんが記念事業の担当をしました。當眞さんが市と協力して寄贈を交渉し、市役所の危機管理室に大きなホワイトボードが2枚寄贈されました。これが異常気象などの際に活躍しているとのことです。

最後に、ロータリーに関する最後の2つの変更について説明します。ロータリーは変化する要素と変わらない要素があると考えられます。変わる要素として、3年に1度の規定審議会があり、各国からの意見が提出され、賛成されると変更が受け入れられます。最近では、22年4月の規定審議会で変更がありました。身近な変更としては、出席報告が挙げられます。以前は各月の最終例会後15日以内にガバナーに報告する必要がありましたが、これが削除され、報告の必要がなくなりました。もう1つの変更は、出席規定免除の手続きに関するもので、ロータリー歴20年以上でかつ会員の年齢が85歳以上の方が出席免除を申請する場合、以前は理事会の承認が必要でしたが、これが本人の希望があれば認められるようになりました。

変わらないものとして、私の考えでは、ロータリーの4つのテストは変わっていかないと思います。この「真実かどうか」「みんなに公平か」「好意と友情を深めるか」「みんなのためになるかどうか」は、1929年に始まった世界大恐慌の時期に、ロータリアンが成し遂げた業績の一環だそうです。1931年、シカゴロータリーのハーバート J.テーラー氏が、不況の影響を受け、巨額の借金を抱えて倒産の危機に瀕した企業の経営を引き受けました。もし再建に失敗すれば、その企業の全従業員が仕事を失うことになりますので、テーラー氏は状況を脱して企業を再建するための方法を模索しました。彼は、重要な正しい考えを持ち、正しい行動をとることで、会社全体の信用が向上するだろうと考えました。

それで、どういうものがいいかというと、社員が簡単に覚えられて、自分を取り巻く全ての人たちに対して考えたり、行ったり、行動したりする時に、応用できる指標が必要であると気づきました。それで、彼は机の前で考え、最初は100語を選びましたが、これでは従業員が簡単に覚えられないということで、7項目ぐらいに絞りましたが、それもちょっと7項目では難しいかなということで、最終的にはこの自答式の4項目に決まったそうです。4つのテストについては、先週の友にも記載がありましたが、それぞれの考え方が変わるものだと思います。そうした中で、私が本で見たのは、広島ロータリークラブが次のように述べていることです。「真実かどうか。これは嘘偽りがないかどうか。みんなに公平か。全ての取引先に対して公平かどうか。それから好意と友情を深めるか。好意や善意を単に表す言葉ではなく、商取引が会社の信用を高めると同時に、より良い人間関係を築き上げ、取引先を増やすかどうかと問うものです。最後のみんなのためになるかどうか。売り手だけが儲かったり、また会社だけが得したのではなく、全ての取引先が適正な条件を得るかどうかということを言っています。」ですから、皆さんも4つのテストをもう一度読み直して、自分なりに解釈していただければいいと思っています。ロータリーの最後ですが、奉仕と親睦、どちらが先なのでしょうか。なんて、よく言われますが、それは難しいと思いますが、私は、クラブの運営から考えますと、親睦が先なのではないかと思っています。やはり、人と人の心の絆がなければ奉仕活動はできないと思います。ですので、道口さんが言ったような炉辺会合を開き、たくさん来ていただいて、ロータリアン同士がお互いの気持ちを理解し合ってから奉仕活動をしていただければ良いと思っています。

それで、ロータリーについてはこれで終わりまして、ゴルフに関してお話しします。

私がゴルフを始めたのは、昭和47年10月31日、26歳の時で、茅ヶ崎ゴルフクラブという神奈川県のパブリックコースで9ホールを回りました。その時のスコアはなんと63、64、127でした。なぜ、51年前のスコアを覚えているかというと、最初はスコアカードを自分の机の中に入れていたんです。それが数年経つとだんだんいっぱいになってきて、「どうしようかな」と思って、ふと思いついたのが、ノートに記録することでした。そのノートには、その日付とコース名、スコア、そしてその時の平均も記録するようにしました。

また数年経って、ノートを見直すと、なんか物足りないなと感じました。そこで、「あ、そうだ、パットの数を入れていない」と気付き、パット数も記録するようになりました。それから数年経って、同伴競技者の名前も入れることにし、その人のスコアもノートに記録するようになりました。ページをめくると、いつ、どなたと回ったかがわかるので、本当にノートに記入しておいて良かったなと思っています。

最初は127で回っていましたが、初めて100を切ったのは33歳の時で、西武園ゴルフで95という嬉しい結果でした。その後、70台を出したのは38歳の時で、群馬県にあるサンコー72ゴルフクラブでのラウンドで78を出しました。これが本当に70台の最初でした。その頃のノートを見ると、ゴルフコンペでもプライベートのゴルフでも、ワンハーフがずっと続いていたことに気付きました。数を比べると、約7割がワンハーフで、それ以降、だんだんなくなり、今は大体ラウンドが主流になっています。

年間の平均スコアのベストスコアは、57歳の時の82.7で、パットが31.8で、これが一番良かった数字です。70歳までは、大体82から85ぐらいのスコアで年間を待ちましたが、70歳を過ぎるとドライバーやアイアンが飛ばなくなり、クラブを変えてもスコアはあまり変わらず、70歳以上になるとツーポイントも悪くなり、71歳の時が87.6で、パットが31.9、72歳で86.6、パットが31.2といった結果になりました。そして、現在に至りますが、ただ、75歳になってからはまた85に戻りました。クラブも変えておらず、歳も若くなっていませんので、考えたら74歳の3月に社長を息子に交代したこともあり、その後半からゴルフの練習量を増やそうと思い、練習を増やした結果だと思います。ですから、皆さん、70過ぎてもまだまだ練習すれば上達します。希望を持ってゴルフを続けていただければと思います。

それから、ホールインワンは1回経験しました。これは16年前、飯能グリーンでのことで、當眞さんと一緒にプレーしていただきました。また、エイジシュートは2回あり、一つは一昨年の9月17日に75で達成し、當眞さん、池田さん、北田さん、本橋さん、清水さんと一緒にいただきました。そして、2回目のエイジシュートは昨年の1月14日に74で達成し、當眞さん、池田さん、北田さん、本橋さん、清水さんがいらっしゃいました。私のゴルフに関する話はこれで終わりますが、もうお亡くなりになっている方で紹介したい方がいます。生涯アマチュアゴルフプレイヤーの中部銀次郎さんです。中部さんは59歳でお亡くなりになりました。彼は大洋漁業の創設者である孫であり、大洋漁業の副社長及び林兼産業社長を務めた中部利三郎の4人兄弟の三男として生まれました。幼少からゴルフを始め、高校2年生の時には関西学生選手権に大学生に混じって出場し、見事優勝しました。これにより一躍その名を轟かせました。

その後、甲南大学2年生の時には日本アマチュア選手権で初優勝。大学卒業後は親のつとめる大洋漁業の関連会社に入社し、サラリーマンとしての本業とゴルフを並行してこなしました。そして1967年には西日本オープンというプロの大会で優勝し、プロよりも強いアマチュアとして名を馳せました。中部さんはその後もアマチュア選手権に6回も優勝し、これは中嶋常幸、倉本昌弘、星野英正、宮里優作、そして昨年男子プロの賞金王となった中島啓太と並び、プロになった方が優勝した回数よりも多いという驚異的な実績を残しました。

中部さんには興味深い語録があり、技術面ではなく心について語っていますので、その一部をご紹介させていただきます。「すべてのことを『あるがまま』に受け入れる」。この言葉はゴルフにおいて何が起こるかは予測できないという考え方を示しています。ゴルフでは不確定な要素が多く、あらゆる状況に対する心の準備が求められます。悪いラインに止まったボールに嘆くのではなく、それに対する練習を事前に行い、心の平静を保つことが大切だと述べています。感情が動揺すると正確な判断が難しくなり、ショット前にミスを犯す可能性が高まります。しかし、あるがままを受け入れることで、覚悟を持って臨み、成功への道を切り開くことができると語っています。

同様に、体調やプレー相手、キャディーに対する不満などがあっても、あるがままを受け入れる覚悟を持ち、ゴルフを遊びであると理解して初めから悟っておくことで、心の平静を保つことができるとも言っています。ゴルフはその覚悟のもとで進められるものであり、心の在り方が成功に影響を与えると中部さんは語っています。

最後に、また私もよくあるんですけど、林の中にボールを入れてしまうことがあります。そういう時は、こういった風に言っています。特別な何かをしようとするからいけないんだ。よくある良くないことが起こるんです。ショットで負けたら確実にまず安全な場所に出すことが最初らしいですね。それができる人が上手な人、できない人が下手な人という。プロとアマチュアでは練習量や経験量がまるで違います。プロと同じようにやろうとしてもできないのですから、アマチュアはある程度アバウトな感覚を持った方がいいのです。例えば、何が何でも寄せるぞと思って寄せるのがプロ。そう思うと寄らないことが多いのはアマチュアです。寄せようとすることで感覚が研ぎ澄まされているのがプロで、欲張りになってしまうのはアマチュアということを言っています。これはやはり気持ちの問題だと思いますので、皆さんも気を付けてやっていただきたい。ほんとに最後までご清聴ありがとうございました。
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