**第2896回例会のスケジュール**
5/23(火)イニシエーションスピーチ 三浦 峰高会員 瀬戸山 達郎会員 会場:ベルヴィ ザ・グラン
**次回以降のスケジュール**
5/30(火)定款の規定により休会
6/6(火)移動例会 ホタル例会 会場:文化幼稚園自然観察園
6/13(火)クラブ協議会 会場:ベルヴィ ザ・グラン
6/20(火)移動例会 引継ぎ会 会場:所沢商工会議所
6/27(火)最終夜間例会 会場:木曽路 所沢店
週報
Weekly Report
公開日:2023/5/23 第2896回例会 内容:第2895回(2023/5/16)レポート
例会予定
お客様紹介
阿部 武志副会長
皆さん、こんにちは。お客様のご紹介をさせていただきます。まず、本日の講師は第63代日本ライト級チャンピオンの宇津木秀様でございます。どうぞよろしくお願いいたします。また、宇津木様はワタナベボクシングジムに所属されており、ジムの会長である渡辺均会長もご一緒にいらっしゃいます。そして、ジムのトレーナーである町田主税様もご同席いただいております。どうぞよろしくお願いいたします。
会長の時間
三上 誠会長
皆さんこんにちは。
先週上場企業の決算発表がほぼ出尽くして少し予想に反して決算内容が良かった結果を受けて昨日は1年半ぶりの日経株価1万9600円台をつけました。
14日(日)の「神田まつり」の人出も30万人以上ということでかなりの人出でにぎわいました。所沢では商工会議所共催の「とことこタワーまつり」が開催されようやく賑わいが戻ってきたような感じです。
10月8日(日)には「ところざわまつり」も予定されており実行委員会の会議も本格化しコロナ前のように開催できるかが焦点になります。昨日の「神田明神」でもG7サミットがあるにも関わらず警察、消防、消防団などの力を借りて韓国のようなパニックにならぬよう警備をいたし事故・ケガ・喧嘩などなく終わってるようですので見習いたいと思います。
スポーツでも有観客数が元に戻り、ボクシングでもやはり応援はとても選手を勇気つけると聞きますが本日の卓話の宇津木先生も同じですか?
先週の私の挨拶でもお話を致しましたがGWもいたるところで人出がありかつ飲食も過去最高売上と言うところが多いようにお聞きしてます。とても良いことで日本経済の活気が出てきたように思えますが、本当に製造業は半導体や自動車の落ち込みが酷く落ち着き払ってます。
なのに自動車各社が大きく売り上げのばし不思議な気がします。
本日の挨拶は終了しますが6月の例会場所が事業計画と違ってますので田中さんからの連絡を頼りにまたわからないときは電話や幹事へお問い合わせください。
それでは終了いたします。
先週上場企業の決算発表がほぼ出尽くして少し予想に反して決算内容が良かった結果を受けて昨日は1年半ぶりの日経株価1万9600円台をつけました。
14日(日)の「神田まつり」の人出も30万人以上ということでかなりの人出でにぎわいました。所沢では商工会議所共催の「とことこタワーまつり」が開催されようやく賑わいが戻ってきたような感じです。
10月8日(日)には「ところざわまつり」も予定されており実行委員会の会議も本格化しコロナ前のように開催できるかが焦点になります。昨日の「神田明神」でもG7サミットがあるにも関わらず警察、消防、消防団などの力を借りて韓国のようなパニックにならぬよう警備をいたし事故・ケガ・喧嘩などなく終わってるようですので見習いたいと思います。
スポーツでも有観客数が元に戻り、ボクシングでもやはり応援はとても選手を勇気つけると聞きますが本日の卓話の宇津木先生も同じですか?
先週の私の挨拶でもお話を致しましたがGWもいたるところで人出がありかつ飲食も過去最高売上と言うところが多いようにお聞きしてます。とても良いことで日本経済の活気が出てきたように思えますが、本当に製造業は半導体や自動車の落ち込みが酷く落ち着き払ってます。
なのに自動車各社が大きく売り上げのばし不思議な気がします。
本日の挨拶は終了しますが6月の例会場所が事業計画と違ってますので田中さんからの連絡を頼りにまたわからないときは電話や幹事へお問い合わせください。
それでは終了いたします。
幹事報告
淺海 剛次幹事
皆さん、こんにちは。本日の幹事報告をさせていただきます。
【国際ロータリーからポリオプラス・ソサエティのご案内】
国際ロータリーからポリオプラス・ソサエティのご案内が届いております。
こちらは、ポリオの根絶を目指す活動のための資金を安定させることを目的としているようです。簡単に説明いたします。
参加申込書には、毎年100米ドル以上の寄付をロータリーの財団である「ポリオプラス基金」に約束する誓約があります。また、ポリオの根絶が宣言されるまで、毎年上記の金額を寄付し、ロータリーの歴史を共に作り上げることに協力する誓約もあります。参加申込書を記入していただくようお願いしております。ポリオプラス・ソサエティに加入希望の方がいらっしゃいましたら、事務局までお問い合わせください。
【所沢ロータリークラブの創立60周年記念事業】
本日午後2時半より、所沢ロータリークラブの創立60周年記念事業として、ベンチの贈呈式が行われます。私と三上会長、特別委員会の高橋パスト会長が参加予定でしたが、高橋パスト会長が急遽病気のため参加できなくなりました。航空公園駅の東口近く、YS-11型旅客機の辺りに足を運んでいただけると幸いです。
【今後の例会予定】
23日の第3例会では、三浦峰高会員と瀬戸山達郎会員によるイニシエーションスピーチをお願いしております。
30日は、定款の規定により休会です。
6月6日は移動例会として、所沢文化幼稚園にて蛍鑑賞会が行われます。参加申し込みは5月26日までとなっておりますので、ご協力よろしくお願いします。
6月13日はクラブ協議会となっております。
以上で報告終わります。ありがとうございました。
【国際ロータリーからポリオプラス・ソサエティのご案内】
国際ロータリーからポリオプラス・ソサエティのご案内が届いております。
こちらは、ポリオの根絶を目指す活動のための資金を安定させることを目的としているようです。簡単に説明いたします。
参加申込書には、毎年100米ドル以上の寄付をロータリーの財団である「ポリオプラス基金」に約束する誓約があります。また、ポリオの根絶が宣言されるまで、毎年上記の金額を寄付し、ロータリーの歴史を共に作り上げることに協力する誓約もあります。参加申込書を記入していただくようお願いしております。ポリオプラス・ソサエティに加入希望の方がいらっしゃいましたら、事務局までお問い合わせください。
【所沢ロータリークラブの創立60周年記念事業】
本日午後2時半より、所沢ロータリークラブの創立60周年記念事業として、ベンチの贈呈式が行われます。私と三上会長、特別委員会の高橋パスト会長が参加予定でしたが、高橋パスト会長が急遽病気のため参加できなくなりました。航空公園駅の東口近く、YS-11型旅客機の辺りに足を運んでいただけると幸いです。
【今後の例会予定】
23日の第3例会では、三浦峰高会員と瀬戸山達郎会員によるイニシエーションスピーチをお願いしております。
30日は、定款の規定により休会です。
6月6日は移動例会として、所沢文化幼稚園にて蛍鑑賞会が行われます。参加申し込みは5月26日までとなっておりますので、ご協力よろしくお願いします。
6月13日はクラブ協議会となっております。
以上で報告終わります。ありがとうございました。
委員会報告
五十嵐 俊昭 会長エレクト
皆さん、こんにちは。国際ロータリー2570地区の方から、入会3年未満の会員の方々に向けて、ワークショップと花火大会の連絡がありました。事務局からは既にメールなどで配信されていると思いますが、一応、8月5日に本庄市の本庄市民文化会館でワークショップが開催され、その後に花火鑑賞会が行われます。現在のガバナーエレクトはアメリカに滞在いたそうで、このようなパーティーが大好きな方であり、私もお会いした際に、今後も多くの活動が行われる予定なので、会員の皆さんによろしく伝えてくださいとのお言葉をいただきました。もし参加可能な方がいらっしゃいましたら、ぜひご参加いただければと思います。以上です。
広報雑誌委員会
岩井英雄さん
皆さん、こんにちは。今日はロータリーの友5月号を紹介させていただきます。
【横組】
今月は青少年奉仕月間ということで、7ページから8ページ以降で青少年交換プログラムに関する特集がされています。ロータリーの青少年交換プログラムは、世界100以上の国と地域で実施されています。15歳から19歳の若者が外国に滞在し、言語や文化を学びながら世界市民としての自覚を養っています。今回はこのプログラムに参加し、リーダーや企業家となった方々を紹介しています。ぜひご参照ください。
また、同じく横組の18ページでは「3.11被災地を忘れない」というテーマで世田谷南ロータアクトクラブの例会が特集されています。今年の3月11日で震災から12年となり、震災を知らない人が増えてきています。この特集では、震災後に何ができるかをテーマに世田谷南ロータアクトクラブが中心となって地域や年代を超えた例会を開催した様子が掲載されています。ぜひご覧ください。
【縦組】
そして、縦組の4ページではスピーチについての記事があります。新湊ロータリークラブが創立50周年ということで、記念講演会が行われました。その講演会でのスピーチ内容が掲載されています。スピーチは織田さんという方がされたもので、内容は努力について述べられています。特に5ページ目の上段の左から9行目に書かれている部分で、努力についてのイメージについて触れられています。努力にはしんどさやきつさといったイメージがあるかもしれませんが、織田さんによれば、人によって努力することが苦行ではない場合もあるようです。それは個人によって異なります。ですから、自分にとって何が好きで一生懸命取り組めるのかを考えることは、新たな可能性を見つけるためのきっかけとなります。ある人にとっては苦痛や面倒と思われることが、自分にとっては楽しくて上達する喜びを感じられるものであり、続けていくうちに新しい何かを見つけることができるのです。好きなことに全力を注ぐことで実力がつき、次の目標が見えてきます。努力は他人から強制されるものではなく、自分自身が積み重ねていくものです。以上が織田さんの考え方として記載されていますので、参考にしてください。
また、21ページ以降ではロータリーアットワークの記事などが掲載されていますので、ぜひご参照いただければと思います。よろしくお願いします。
【横組】
今月は青少年奉仕月間ということで、7ページから8ページ以降で青少年交換プログラムに関する特集がされています。ロータリーの青少年交換プログラムは、世界100以上の国と地域で実施されています。15歳から19歳の若者が外国に滞在し、言語や文化を学びながら世界市民としての自覚を養っています。今回はこのプログラムに参加し、リーダーや企業家となった方々を紹介しています。ぜひご参照ください。
また、同じく横組の18ページでは「3.11被災地を忘れない」というテーマで世田谷南ロータアクトクラブの例会が特集されています。今年の3月11日で震災から12年となり、震災を知らない人が増えてきています。この特集では、震災後に何ができるかをテーマに世田谷南ロータアクトクラブが中心となって地域や年代を超えた例会を開催した様子が掲載されています。ぜひご覧ください。
【縦組】
そして、縦組の4ページではスピーチについての記事があります。新湊ロータリークラブが創立50周年ということで、記念講演会が行われました。その講演会でのスピーチ内容が掲載されています。スピーチは織田さんという方がされたもので、内容は努力について述べられています。特に5ページ目の上段の左から9行目に書かれている部分で、努力についてのイメージについて触れられています。努力にはしんどさやきつさといったイメージがあるかもしれませんが、織田さんによれば、人によって努力することが苦行ではない場合もあるようです。それは個人によって異なります。ですから、自分にとって何が好きで一生懸命取り組めるのかを考えることは、新たな可能性を見つけるためのきっかけとなります。ある人にとっては苦痛や面倒と思われることが、自分にとっては楽しくて上達する喜びを感じられるものであり、続けていくうちに新しい何かを見つけることができるのです。好きなことに全力を注ぐことで実力がつき、次の目標が見えてきます。努力は他人から強制されるものではなく、自分自身が積み重ねていくものです。以上が織田さんの考え方として記載されていますので、参考にしてください。
また、21ページ以降ではロータリーアットワークの記事などが掲載されていますので、ぜひご参照いただければと思います。よろしくお願いします。
スマイルボックス
スマイルボックス委員会
中村 有佑 副委員長
三上年度:462,701円
井関 克行さん
宇津木秀様、本日は所沢ロータリーの卓話を引き受け頂きありがとうございます。お話を楽しみにしております。
日髙 勉さん
宇津木様本日はご講演いただき有難うございます。楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
佐藤 薫さん
所要にて早退させていただきます。
當眞 正純さん
所要の為早退します。
肥沼 直明さん
本日、諸用により早退させていただきます。
宇津木秀様、本日は所沢ロータリーの卓話を引き受け頂きありがとうございます。お話を楽しみにしております。
日髙 勉さん
宇津木様本日はご講演いただき有難うございます。楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
佐藤 薫さん
所要にて早退させていただきます。
當眞 正純さん
所要の為早退します。
肥沼 直明さん
本日、諸用により早退させていただきます。
出席報告
出席向上委員会
市川 雅巳委員長
例会 総数 出席 欠席 %
2895回 59名 36名(Zoom1名) 23名 66.67%
2895回 59名 36名(Zoom1名) 23名 66.67%
卓話
講師紹介
井関 克行さん
皆さん、こんにちは。本日の講師をご紹介させていただきます。宇津木秀様です。彼は1994年5月6日生まれです。先ほど会長からもお話がありましたが、私たち所沢市出身者として、彼が所沢出身のチャンピオンであることから、彼を応援したいという思いからお招きしました。
現在、宇津木選手はワタナベボクシングジムに所属しています。花咲徳栄高校を卒業後、平成国際大学のボクシング部主将を務めました。2017年には全日本社会人大会で優勝し、2018年にはB級プロテストに合格しました。アマチュアでは108戦81勝(23KO)の戦績を持ち、プロに転向してからは13戦12勝(10KO)1敗という素晴らしい成績を収めています。彼は第63代日本ライト級チャンピオンでもあります。私は直接的な面識はありませんが、今日は宇津木さんのトレーナーである町田主税さんが同席しています。彼とは法政大学の同級生であり、当時はゴルフ同好会に所属していました。夏休みにはプロの試合のアルバイトや合宿に参加するなど、彼とよく会っていました。時には2人が付き合っているという変な噂まで出たほどですが、ただの仲良しでした。そんなご縁から今日、宇津木選手をご紹介することになりました。これからは宇津木選手からの卓話をお聞きしますが、彼はボクシングが本業のため、あまり喋ることは得意ではないそうです。後ほど皆さんからの質疑応答を通じて、彼にいくつかの質問をしていただけると幸いです。
また、本日は大変お忙しい中、ワタナベボクシングジムの所属選手である宇津木選手のほか、渡辺会長もお越しいただきました。実は、会長が東京大崎ロータリークラブに所属されていることを存じ上げませんでしたが、せっかくここにいらっしゃったので、一言ご挨拶いただければと思います。
現在、宇津木選手はワタナベボクシングジムに所属しています。花咲徳栄高校を卒業後、平成国際大学のボクシング部主将を務めました。2017年には全日本社会人大会で優勝し、2018年にはB級プロテストに合格しました。アマチュアでは108戦81勝(23KO)の戦績を持ち、プロに転向してからは13戦12勝(10KO)1敗という素晴らしい成績を収めています。彼は第63代日本ライト級チャンピオンでもあります。私は直接的な面識はありませんが、今日は宇津木さんのトレーナーである町田主税さんが同席しています。彼とは法政大学の同級生であり、当時はゴルフ同好会に所属していました。夏休みにはプロの試合のアルバイトや合宿に参加するなど、彼とよく会っていました。時には2人が付き合っているという変な噂まで出たほどですが、ただの仲良しでした。そんなご縁から今日、宇津木選手をご紹介することになりました。これからは宇津木選手からの卓話をお聞きしますが、彼はボクシングが本業のため、あまり喋ることは得意ではないそうです。後ほど皆さんからの質疑応答を通じて、彼にいくつかの質問をしていただけると幸いです。
また、本日は大変お忙しい中、ワタナベボクシングジムの所属選手である宇津木選手のほか、渡辺会長もお越しいただきました。実は、会長が東京大崎ロータリークラブに所属されていることを存じ上げませんでしたが、せっかくここにいらっしゃったので、一言ご挨拶いただければと思います。
渡辺 均様(ワタナベボクシングジム会長・東京大崎ロータリークラブ)
こんにちは、渡辺です。実は、ワタナベジムはこれまで7人の世界チャンピオンを輩出してきました。宇津木はライト級で8人目を目指していました。しかし、前回の試合で防衛戦でKO負けをしてしまいました。
内山高志という春日部出身の選手がいるのですが、内山もアマチュアの全日本チャンピオンからプロ入りし、経験を積んで世界チャンピオンになりました。時間はかかるかもしれませんが技術を磨いて再び世界を目指したいと思っています。また、私、宇津木は話すことが得意だと思っていますが本人が話すことが苦手といいますので、卓話の時間は半分ほどは話して、残りの時間は皆さんの質問に答える形で進めさせていただけるとありがたいです。
内山高志という春日部出身の選手がいるのですが、内山もアマチュアの全日本チャンピオンからプロ入りし、経験を積んで世界チャンピオンになりました。時間はかかるかもしれませんが技術を磨いて再び世界を目指したいと思っています。また、私、宇津木は話すことが得意だと思っていますが本人が話すことが苦手といいますので、卓話の時間は半分ほどは話して、残りの時間は皆さんの質問に答える形で進めさせていただけるとありがたいです。
宇津木秀様(ワタナベボクシングジム 日本ライト級チャンピオン)
演題:「日本チャンピオンになるまで」
はじめまして、宇津木と申します。第63代日本のライト級チャンピオンです。この度は、ロータリークラブに招待していただき、ありがとうございます。今日は、私が日本チャンピオンになるまでの経験についてお話しいたします。
中学2年生の夏頃から、私はボクシングを始めました。父から、「やることがないなら、ボクシングを試してみないか」と言われたのがきっかけです。私の上には3歳違いの双子の兄がいて、兄は高校からボクシングを始めました。兄が帰ってくると、私は彼と対人練習をし、ほぼいつもボコボコにされて悔しい思いをしていました。そのことから、ボクシングは難しいなと感じ、兄にやり返す気持ちも湧いてきました。少しずつボクシングが好きになっていきました。そのきっかけで、中学を卒業したら高校に行かずにプロボクサーになろうかと考えていましたが、私は清瀬にある沼田ボクシングジムに通っており、そこに花咲徳栄高校との関係も少しあります。清瀬の沼田ジムには、学校の先生である木庭先生が訪れ、私の練習を見て、「なかなかいいじゃん」と言ってくださいました。そのお言葉をいただき、花咲徳栄高校で練習させていただくことになりました。
花咲徳栄高校のボクシング部は、平成国際大学との関係はありませんが、練習は一緒に行われています。高校生が練習している中で、大学生も同じ練習を行っており、なんとなくレベルが違う感じがしました。私が初めて練習に参加した時、みんなの集中力や大学生の存在感に圧倒され、高校生も非常に高いレベルで強いところだなと感じました。練習に参加した際には、初めて大学生とスパーリングをさせていただきましたが、ボコボコにされてしまいました。ボクシングはなぜこんなに難しいのかと心底思ってしまいました。プロに進む前に、やはり高校に進学してボクシングをして、本当に強くなれるのならば、高校に行ってみようと思い、受験をしました。元々、私はあまり頭が良くなかったので、監督に相談し、どうにかして受け入れてもらえないかとお願いしました。そうしたら、推薦をしてもらえることになりました。条件として、通信簿の成績から1をなくせば入学できると言われました。一生懸命中学校に通い、先生方に「1をなくしてください。なんでも頑張ります。」と伝えました。その結果、成績は体育や家庭科、美術などは5で他の教科は2ですがなんとか推薦をいただくことができました。中学校時代、私は向陽中学校に通っていました。家からは歩いて5分程度の距離でしたが、私は約138回も遅刻していました。そのため、高校の受験面接で「花咲徳栄高校まで2時間かかるけど大丈夫?」と聞かれました。「大丈夫です」としっかり答えました。そして、卒業後にわかったのですが、高校の3年間、私は2時間かけて電車通学していましたが、欠席はたったの2回だけでした。実際にボクシングにしっかりと集中して取り組んでいた自分がいたこともありましたし、親が金銭的にサポートしてくれていて、通学することができていることも理解していました。高校に進学して本当に良かったと思います。成績としては、2年生の時に選抜大会で準優勝しました。その後、監督から平成国際大学に進むように言われ、入学することになりました。大学でも特待生として選ばれましたが、最高成績は全日本での3位でした。高校と大学を合わせて108試合中81勝(23KO)27敗という成績ですが、高校時代は1度も1位になることができず、とても悔しい思いをしました。観戦に来てくれた父や祖母、そして応援してくれた皆さんからの期待もあった中で、1位になれなかったことは非常に悔しかったです。
プロボクサーを目指すという思いは中学卒業前からありました。中学卒業後は高校に進学し、その後大学でもボクシングを続けるつもりでした。大学生活を含めると、中学校を含めて9年間、大学では3年生から2年間主将を務めさせていただきました。色々な思いや葛藤がありながら、チームを引っ張っていく役割を担いました。リーグ戦では主将としての責任が重く、厳しい状況もありました。元々、私はメンタル面で強い方ではなく、リーダーシップも得意な方ではなかったので、全日本が終わった後、ボクシングに対してやりきった感があり、もう終わりかなと思うようになりました。
ボクシングを辞めて、次は体を鍛えてボディビルダーになり、アーノルド・シュワルツェネッガーのような大会で優勝しようという思いで、筋トレを本格的に始めました。筋トレはボクシングとは違い、努力が直ぐに結果として現れるもので、楽しく充実感を感じていました。しかし、何か心の中で物足りなさや面白みの欠如を感じるようになりました。その後、父の紹介で指導の仕事をする傍ら、高校や大学でのコーチも務める機会をいただきました。教える立場になる中で、自分がもしボクサーだったらこうするだろうなという思いが強く湧いてきました。最近、引退された村田亮太さんの試合を両国国技館で観戦させていただいた時に、村田さんは敗れてしまいましたが、お金を払ってチケットを買って会場に来てくださった方々が勝っても負けても大変喜んで応援している姿を見て、笑顔になり声を出し、立ち上がって拍手している姿を目の当たりにしました。そこで改めてボクシングは素晴らしいスポーツだと感じ、またリングに立ちたいという思いが湧きました。そこで、2017年の全日本社会人選手権に挑戦してみようと思いました。その際、渡辺会長のワタナベジムで練習させていただきました。花咲徳栄高校の卒業生である内山高志選手も同じくワタナベジムに所属していたので、これは良い機会だと思い、見学させていただきました。2021年12月に社会人として初めて優勝することができました。実感はあまり湧かず、初めての1位という感じがしなかったです。その後、プロ入りし、3月にデビュー戦がありました。初めての試合は勝利しましたが、2戦目では苦しい戦いを経験しました。その時、色々な方と相談し、もっと頑張らなければいけないと感じました。このままではいけないと思いました。このように見ていただいている皆さんにできる限り結果で恩返ししたいと思い、無敗のまま急戦に臨み、10戦目でついに日本タイトルマッチの話が回ってきました。ランキングでは5位でしたが、上位には2位から4位までの選手がいました。私に話が回ってきたことは本当に運命だと感じました。ちょうど10戦目であり、日本タイトルマッチはプロデビューとほぼ同じ時期でした。コロナ禍の中でも、辛い状況でも、プロデビューから日本タイトルマッチまでの4年間の努力を全て発揮しようと思い、挑みました。私は絶対にチャンピオンになりたいという思いがありました。また、父と祖母にはいつも迷惑をかけていましたし、ボクシングではなかなかチャンピオンになれず、恩返しもできませんでした。ですので、絶対にチャンピオンになろうと決めて、激しい練習を積み重ねました。そして、2月8日の試合で、9ラウンド44秒のタップアウト勝ちを収め、日本チャンピオンになることができました。その瞬間、私はやっと慣れた日本チャンピオンになり、父と祖母に恩返しできたという思いで、雄叫びを上げて泣いてしまいました。恥ずかしいですが、本当に嬉しかったです。これまでの15年間、ボクシングをやってきた中で、苦労もありましたが、それでもやってきて良かったと心から思っています。
しかし、最近、4月26日の試合で初めてプロで負けてしまい、とても悩みました。なぜあの時こうしなかったのか、こうしなかったのかと考え、トレーナーやボクシングをやめて離れて考えることができませんでした。その試合で自分の未熟さを強く感じたため、しっかりと受け止め、再び立ち上がることを決意しました。私の最終目標は世界チャンピオンです。また、所沢でも世界チャンピオンのベルトを手にしたいと思っています。この負けを糧に、しっかりと練習し、応援してくださる人々に答えられるように頑張っていきたいと思っています。以上です。
日向さん:ボクシングの階級分けはどのように行われますか?減量はどのようにしていますか?
宇津木さん:ボクシングのライト級は61.23キロで、試合までの体重を細かく調整します。私の普段の体重は70~71キロほどなので、試合までに約10キロ減量する必要があります。ただ、最近試合が終わったばかりで、たくさん食べてしまって体重が72キロに増えてしまいました。減量を始める期間は約2か月前からで、油っこい食べ物などを避けるようにします。1ヶ月前からは更に細かくカロリーを計算し、摂取する食べ物に制限を加えます。最後の1週間はスパーリングなども行い、疲労が溜まる一方なので、体調回復のために炭水化物を摂取し、少し回復をします。計量の1日前や2日前には水出しという行為があり、体の汗を全て出すために行います。その前には塩抜きと呼ばれる行為を行い、カリウムを摂取して体内から水分を出す状態にします。水出しをすると、約3キロ~4キロの体重が一気に減ります。もし十分に減らなければ、サウナや半身浴を行って残りの体重を落とします。次の日には計量が行われます。減量は最初はそれほど辛くないですが、徐々に制限される食べ物も増え、最終的には水さえ制限されるので大変です。グラム単位で計算しなければならないため、食べ物を制限することが必要です。しかし、ボクシングは本当に好きなスポーツであり、その試合で勝利を収めた時の達成感は忘れられないため、このような苦しみを乗り越えてやっていると思います。
五十嵐さん:A級ライセンスとプロライセンスについてとランキングについて教えてください。
宇津木さん:プロライセンスについて話しますね。まず、アマチュアボクシングからスタートして、ライセンスにはC級、B級、A級というランクがあります。C級は4回戦や5回戦のラウンド数で戦います。次にB級で6回戦から8回戦に進みます。そして、さらに上のランクであるA級では10回戦以上が必要で、8回戦から10回戦でタイトル戦に出場することができます。C級デビューはボクシング経験のない人やアマチュア経験が少なく、プロとして最初から始める人向けのランクです。一方、B級からデビューする選手は、アマチュアボクシングで活動したり、ボクシングに関わった経験があり、実績のある選手です。たとえば、私のように108試合戦って全国大会で成績を残した選手などが該当します。C級に出場すると、C級の選手が対戦相手となり、勝つことが難しくなってしまいます。そのため、B級から出場し、強い選手と対戦して3回勝つとA級ボクサーに昇格することができます。A級のプロライセンスを取得するためのテストを受ける人は、通常2~3人しかいません。有名な井上直也さんや村田さんもA級ボクサーであり、オリンピックで金メダルを獲得した村田亮太さんもA級に昇格する可能性が高いです。私はB級からスタートし、3試合戦ってA級に昇格し、ランキングのある選手と対戦し、ランキングを奪取する形で順調に進んでいます。
細野さん:実は、私は去年の11月からダイエットを始めて、約16キロ体重を減らしました。先日、大会に参加しましたが、成績はあまり良くありませんでした。その理由は、先ほどお話しに出た水抜きと塩抜きを同じようにしていて、前日にうまく絞りきれなくてカリウムを摂りすぎてしまい、脱水症状が起こり、高熱を出してしまったからです。水抜きをずっとしていたにもかかわらず、点滴を1時間受け、さらにOS-1を4本飲んでしまったため、当日にむくんでしまいました。思い切って挑んだのですが、やはりうまくいきませんでした。ダイエットの大変さは理解していますが、最後の最後まで絞りきれないのです。9月までに残り4キロほど減らすつもりですが、何か良い方法はありますか?
宇津木さん:そうですね、1番はワタナベジムに来ていただくことです。ボクシングはボディビルダーやフィジーカーと比べて体重を減らす方法もかなり異なります。ボクシングは驚くべきもので、短期間で2ヶ月や1ヶ月で減量する競技です。一方、ボディビルダーやフィジーカーの方々は半年以上かけてゆっくりと体重を落としていきます。私は甘いものが大好きなので、試合が終わった後にはドーナツ12個を1日で食べたり、パフェを食べたりすることもあります。しかし、リバウンドが起こりやすいため、体重には非常にシビアに対応する必要があります。試合前などは特に厳しいダイエットを行いながら体重を落としていかなければなりません。本当に我慢するしかないのかなと思っています。以前、私は落ちない時期があり、その週に1回だけ食事制限を忘れることにしました。チートデーというものです。チートデーは制限を緩める日で、疲労も抜けるので必要です。チートデーの後は、大会に出場して自分の結果を残すことを想像しながら頑張っています。言葉がまとまらなくてごめんなさい。あと、栄養士にも相談して減量方法や食事の量などを計算してもらうと良いと思います。ぜひ、来てください。
中学2年生の夏頃から、私はボクシングを始めました。父から、「やることがないなら、ボクシングを試してみないか」と言われたのがきっかけです。私の上には3歳違いの双子の兄がいて、兄は高校からボクシングを始めました。兄が帰ってくると、私は彼と対人練習をし、ほぼいつもボコボコにされて悔しい思いをしていました。そのことから、ボクシングは難しいなと感じ、兄にやり返す気持ちも湧いてきました。少しずつボクシングが好きになっていきました。そのきっかけで、中学を卒業したら高校に行かずにプロボクサーになろうかと考えていましたが、私は清瀬にある沼田ボクシングジムに通っており、そこに花咲徳栄高校との関係も少しあります。清瀬の沼田ジムには、学校の先生である木庭先生が訪れ、私の練習を見て、「なかなかいいじゃん」と言ってくださいました。そのお言葉をいただき、花咲徳栄高校で練習させていただくことになりました。
花咲徳栄高校のボクシング部は、平成国際大学との関係はありませんが、練習は一緒に行われています。高校生が練習している中で、大学生も同じ練習を行っており、なんとなくレベルが違う感じがしました。私が初めて練習に参加した時、みんなの集中力や大学生の存在感に圧倒され、高校生も非常に高いレベルで強いところだなと感じました。練習に参加した際には、初めて大学生とスパーリングをさせていただきましたが、ボコボコにされてしまいました。ボクシングはなぜこんなに難しいのかと心底思ってしまいました。プロに進む前に、やはり高校に進学してボクシングをして、本当に強くなれるのならば、高校に行ってみようと思い、受験をしました。元々、私はあまり頭が良くなかったので、監督に相談し、どうにかして受け入れてもらえないかとお願いしました。そうしたら、推薦をしてもらえることになりました。条件として、通信簿の成績から1をなくせば入学できると言われました。一生懸命中学校に通い、先生方に「1をなくしてください。なんでも頑張ります。」と伝えました。その結果、成績は体育や家庭科、美術などは5で他の教科は2ですがなんとか推薦をいただくことができました。中学校時代、私は向陽中学校に通っていました。家からは歩いて5分程度の距離でしたが、私は約138回も遅刻していました。そのため、高校の受験面接で「花咲徳栄高校まで2時間かかるけど大丈夫?」と聞かれました。「大丈夫です」としっかり答えました。そして、卒業後にわかったのですが、高校の3年間、私は2時間かけて電車通学していましたが、欠席はたったの2回だけでした。実際にボクシングにしっかりと集中して取り組んでいた自分がいたこともありましたし、親が金銭的にサポートしてくれていて、通学することができていることも理解していました。高校に進学して本当に良かったと思います。成績としては、2年生の時に選抜大会で準優勝しました。その後、監督から平成国際大学に進むように言われ、入学することになりました。大学でも特待生として選ばれましたが、最高成績は全日本での3位でした。高校と大学を合わせて108試合中81勝(23KO)27敗という成績ですが、高校時代は1度も1位になることができず、とても悔しい思いをしました。観戦に来てくれた父や祖母、そして応援してくれた皆さんからの期待もあった中で、1位になれなかったことは非常に悔しかったです。
プロボクサーを目指すという思いは中学卒業前からありました。中学卒業後は高校に進学し、その後大学でもボクシングを続けるつもりでした。大学生活を含めると、中学校を含めて9年間、大学では3年生から2年間主将を務めさせていただきました。色々な思いや葛藤がありながら、チームを引っ張っていく役割を担いました。リーグ戦では主将としての責任が重く、厳しい状況もありました。元々、私はメンタル面で強い方ではなく、リーダーシップも得意な方ではなかったので、全日本が終わった後、ボクシングに対してやりきった感があり、もう終わりかなと思うようになりました。
ボクシングを辞めて、次は体を鍛えてボディビルダーになり、アーノルド・シュワルツェネッガーのような大会で優勝しようという思いで、筋トレを本格的に始めました。筋トレはボクシングとは違い、努力が直ぐに結果として現れるもので、楽しく充実感を感じていました。しかし、何か心の中で物足りなさや面白みの欠如を感じるようになりました。その後、父の紹介で指導の仕事をする傍ら、高校や大学でのコーチも務める機会をいただきました。教える立場になる中で、自分がもしボクサーだったらこうするだろうなという思いが強く湧いてきました。最近、引退された村田亮太さんの試合を両国国技館で観戦させていただいた時に、村田さんは敗れてしまいましたが、お金を払ってチケットを買って会場に来てくださった方々が勝っても負けても大変喜んで応援している姿を見て、笑顔になり声を出し、立ち上がって拍手している姿を目の当たりにしました。そこで改めてボクシングは素晴らしいスポーツだと感じ、またリングに立ちたいという思いが湧きました。そこで、2017年の全日本社会人選手権に挑戦してみようと思いました。その際、渡辺会長のワタナベジムで練習させていただきました。花咲徳栄高校の卒業生である内山高志選手も同じくワタナベジムに所属していたので、これは良い機会だと思い、見学させていただきました。2021年12月に社会人として初めて優勝することができました。実感はあまり湧かず、初めての1位という感じがしなかったです。その後、プロ入りし、3月にデビュー戦がありました。初めての試合は勝利しましたが、2戦目では苦しい戦いを経験しました。その時、色々な方と相談し、もっと頑張らなければいけないと感じました。このままではいけないと思いました。このように見ていただいている皆さんにできる限り結果で恩返ししたいと思い、無敗のまま急戦に臨み、10戦目でついに日本タイトルマッチの話が回ってきました。ランキングでは5位でしたが、上位には2位から4位までの選手がいました。私に話が回ってきたことは本当に運命だと感じました。ちょうど10戦目であり、日本タイトルマッチはプロデビューとほぼ同じ時期でした。コロナ禍の中でも、辛い状況でも、プロデビューから日本タイトルマッチまでの4年間の努力を全て発揮しようと思い、挑みました。私は絶対にチャンピオンになりたいという思いがありました。また、父と祖母にはいつも迷惑をかけていましたし、ボクシングではなかなかチャンピオンになれず、恩返しもできませんでした。ですので、絶対にチャンピオンになろうと決めて、激しい練習を積み重ねました。そして、2月8日の試合で、9ラウンド44秒のタップアウト勝ちを収め、日本チャンピオンになることができました。その瞬間、私はやっと慣れた日本チャンピオンになり、父と祖母に恩返しできたという思いで、雄叫びを上げて泣いてしまいました。恥ずかしいですが、本当に嬉しかったです。これまでの15年間、ボクシングをやってきた中で、苦労もありましたが、それでもやってきて良かったと心から思っています。
しかし、最近、4月26日の試合で初めてプロで負けてしまい、とても悩みました。なぜあの時こうしなかったのか、こうしなかったのかと考え、トレーナーやボクシングをやめて離れて考えることができませんでした。その試合で自分の未熟さを強く感じたため、しっかりと受け止め、再び立ち上がることを決意しました。私の最終目標は世界チャンピオンです。また、所沢でも世界チャンピオンのベルトを手にしたいと思っています。この負けを糧に、しっかりと練習し、応援してくださる人々に答えられるように頑張っていきたいと思っています。以上です。
日向さん:ボクシングの階級分けはどのように行われますか?減量はどのようにしていますか?
宇津木さん:ボクシングのライト級は61.23キロで、試合までの体重を細かく調整します。私の普段の体重は70~71キロほどなので、試合までに約10キロ減量する必要があります。ただ、最近試合が終わったばかりで、たくさん食べてしまって体重が72キロに増えてしまいました。減量を始める期間は約2か月前からで、油っこい食べ物などを避けるようにします。1ヶ月前からは更に細かくカロリーを計算し、摂取する食べ物に制限を加えます。最後の1週間はスパーリングなども行い、疲労が溜まる一方なので、体調回復のために炭水化物を摂取し、少し回復をします。計量の1日前や2日前には水出しという行為があり、体の汗を全て出すために行います。その前には塩抜きと呼ばれる行為を行い、カリウムを摂取して体内から水分を出す状態にします。水出しをすると、約3キロ~4キロの体重が一気に減ります。もし十分に減らなければ、サウナや半身浴を行って残りの体重を落とします。次の日には計量が行われます。減量は最初はそれほど辛くないですが、徐々に制限される食べ物も増え、最終的には水さえ制限されるので大変です。グラム単位で計算しなければならないため、食べ物を制限することが必要です。しかし、ボクシングは本当に好きなスポーツであり、その試合で勝利を収めた時の達成感は忘れられないため、このような苦しみを乗り越えてやっていると思います。
五十嵐さん:A級ライセンスとプロライセンスについてとランキングについて教えてください。
宇津木さん:プロライセンスについて話しますね。まず、アマチュアボクシングからスタートして、ライセンスにはC級、B級、A級というランクがあります。C級は4回戦や5回戦のラウンド数で戦います。次にB級で6回戦から8回戦に進みます。そして、さらに上のランクであるA級では10回戦以上が必要で、8回戦から10回戦でタイトル戦に出場することができます。C級デビューはボクシング経験のない人やアマチュア経験が少なく、プロとして最初から始める人向けのランクです。一方、B級からデビューする選手は、アマチュアボクシングで活動したり、ボクシングに関わった経験があり、実績のある選手です。たとえば、私のように108試合戦って全国大会で成績を残した選手などが該当します。C級に出場すると、C級の選手が対戦相手となり、勝つことが難しくなってしまいます。そのため、B級から出場し、強い選手と対戦して3回勝つとA級ボクサーに昇格することができます。A級のプロライセンスを取得するためのテストを受ける人は、通常2~3人しかいません。有名な井上直也さんや村田さんもA級ボクサーであり、オリンピックで金メダルを獲得した村田亮太さんもA級に昇格する可能性が高いです。私はB級からスタートし、3試合戦ってA級に昇格し、ランキングのある選手と対戦し、ランキングを奪取する形で順調に進んでいます。
細野さん:実は、私は去年の11月からダイエットを始めて、約16キロ体重を減らしました。先日、大会に参加しましたが、成績はあまり良くありませんでした。その理由は、先ほどお話しに出た水抜きと塩抜きを同じようにしていて、前日にうまく絞りきれなくてカリウムを摂りすぎてしまい、脱水症状が起こり、高熱を出してしまったからです。水抜きをずっとしていたにもかかわらず、点滴を1時間受け、さらにOS-1を4本飲んでしまったため、当日にむくんでしまいました。思い切って挑んだのですが、やはりうまくいきませんでした。ダイエットの大変さは理解していますが、最後の最後まで絞りきれないのです。9月までに残り4キロほど減らすつもりですが、何か良い方法はありますか?
宇津木さん:そうですね、1番はワタナベジムに来ていただくことです。ボクシングはボディビルダーやフィジーカーと比べて体重を減らす方法もかなり異なります。ボクシングは驚くべきもので、短期間で2ヶ月や1ヶ月で減量する競技です。一方、ボディビルダーやフィジーカーの方々は半年以上かけてゆっくりと体重を落としていきます。私は甘いものが大好きなので、試合が終わった後にはドーナツ12個を1日で食べたり、パフェを食べたりすることもあります。しかし、リバウンドが起こりやすいため、体重には非常にシビアに対応する必要があります。試合前などは特に厳しいダイエットを行いながら体重を落としていかなければなりません。本当に我慢するしかないのかなと思っています。以前、私は落ちない時期があり、その週に1回だけ食事制限を忘れることにしました。チートデーというものです。チートデーは制限を緩める日で、疲労も抜けるので必要です。チートデーの後は、大会に出場して自分の結果を残すことを想像しながら頑張っています。言葉がまとまらなくてごめんなさい。あと、栄養士にも相談して減量方法や食事の量などを計算してもらうと良いと思います。ぜひ、来てください。
2893例会親睦旅行
令和5年4月16日、17日の2日間、静岡県の北川温泉へ親睦旅行に行ってきました。