さる4/24【日】場所は「ものつくり大学」にて「地区協議会」が開催されました。
震災の方々への復興支援をはじめ、地域及び世界の為にクラブ活動を行うにあたり「スマートロータリーを探して」をテーマにクラブ支援を行うことを立原ガバナー・エレクト様から伝えられ、各部門ごとの研修会が行われました。
開催にあたり「行田さくらロータリークラブ」の方々には大変お忙しい中準備をしていただき誠にありがとうございました。
セブン
さる4/24【日】場所は「ものつくり大学」にて「地区協議会」が開催されました。
震災の方々への復興支援をはじめ、地域及び世界の為にクラブ活動を行うにあたり「スマートロータリーを探して」をテーマにクラブ支援を行うことを立原ガバナー・エレクト様から伝えられ、各部門ごとの研修会が行われました。
開催にあたり「行田さくらロータリークラブ」の方々には大変お忙しい中準備をしていただき誠にありがとうございました。
セブン
4/7PM11:30過ぎに宮城県沖合でマグニチュード7.4の余震(?)と思われる地震発生で皆さん
びっくりされたのではないですか?幸いなことに所沢では被害がないそうです。
まだいえぬ傷跡にさらなる被害が出なければと朝を迎え、宮城の取引先工場へ連絡。
せっかく納入再開が4/28から開始されたばかりなのにやはり刻々と被害が増え停電・断水・半壊部分がさらなる損壊・・・・さらに安否確認が全員出来ず工場閉鎖!
でも、現地の取引先からは涙ながらに「もう一度再開を必ずするから製品だけはつくりあげておいてね」
と心強い言葉をこちらが頂きました。
東京本社では「もう再開無理かな」とつぶやいているのに現地の方の復興への力ずよい言葉に敬服です。
こちらでも出来ることをしなければとつくずく感じました。
セブン
3月11日午後2時46分東北・三陸沖を震源とする最大級の巨大地震があり、余震が続くなか大津波で街が壊滅して膨大な数の死者・行方不明者がでるという大きな災害が発生した。火災も各地でおき、原発やライフラインなどの脆弱さという問題も明らかになった。(とりわけ原発に関する東電と政府の対応の問題)震源も次第に南下?し、長野や新潟でも地震が起きた。ニュージーランドの大地震で語学留学生らの被災に涙したのがつい昨日のようなのに今度は東北関東などに地震と日本全体に津波が襲ってきた。時間がたつにつれ被害の大きさが明らかになり、言葉もない。直接被害を受けなくても以前から指摘されていた帰宅難民も現実化した。ニュージーランドの被災者とともに今回の被災者への支援を早急に考え、実行する必要があると思う。皆様いかがでしょうか? S・N
2月は「世界理解月間」でした。
そんな矢先にニュージーランドでの地震で被災に見舞われた方々の救出を願うばかりです。
しかし暦は3月となり春がすぐそこに来てます。
第2570地区第3グループのIMが所沢のミューズで3/5【土】PM13:30点鐘となっております。
当クラブ会長も現在猛特訓で演劇の練習に励まれ本番を待つばかりと・・・・
それではみなさんの御来場をお待ち申し上げます。
こども将棋大会のタイトルにある「とうきち」とは、江戸時代の終わりから明治のなかばにかけて所沢村からでた人気と実力のある、二人の将棋の棋士の名前です。一人は福泉藤吉で、もう一人が大矢東吉です。二人は、「所沢のとうきち」として全国の将棋愛好家に有名でした。現在プロの将棋界で活躍されている羽生善治名人と及川拓馬四段も所沢出身です。この「所沢のとうきち」に続く小学生をということで、当クラブなど市内の5ロータリークラブが共同で、(こども「とうきち」将棋大会)を毎年開催しています。(大会のパンフレットを抜粋して引用)
大変お待たせいたしました。会員企業のホームページをアップいたしました。
他の方々のホームページを見ているとなかなか参考になることもわかりました。
まだまだ追加でアップできますので会員の皆様どしどしお申し込みください。
セブン
実は広報委員がさぼってしまい誠に申し訳ございませんでした。
しかしその間に大変おめでたいことを皆様にご報告いたします。
会員の方から秋の叙勲で瑞宝双光章を受章されたことをご報告いたします。
それは梅沢 定彦さんです。教育分野での功績が認められ誠に
おめでたいことです。
先輩ロータリアンがこのような素晴らしい方たちがたくさんおられる
所沢ロータリーの底力と入会出来ていてとてもうれしく感じました。
間隔があき誠に申し訳ございませんでした。
次の時には会員企業のリンクについて発表出来ると計画してます。
セブン
9/28の例会が終了すると3か月が終了いたします。
新年度開始時期は酷暑の始まりでした。
なんと猛暑日が71日と日本記録だそうです。
季節も秋に変わり・・・・ちょっと待った突然さむくありませんか!!
早くもこたつを出しました我が家は・・・吾妻だからかな?
いえいえ実家でもこたつを出してるではありませんか・・・町中なのに
2週間後は市制60周年「所沢まつり」です。
皆さんもいろいろなところで御活躍されることでしょう。
急激な温度差に皆さんお体を気をつけてください。
9/7の例会で山田直前会長の卓話の最後において紹介された詩の朗読部分です。
鳥居さんに読んでいただきましたが読みてが感極まり・・・・。
そこでブログにあげさせて頂きました。
皆さんもどうぞじっくり読んでください。(英語版にできずすみません)
セブン
「くじけないで」
柴田トヨ
著者 柴田 トヨ(しばた・とよ)
明治十四年 6月生まれ
【夢】 自分の詩集が翻訳され、世界中の人に読んでもらう事
ことば
何気なく 言ったことばが
人をどれだけ 傷つけていたか
後になって気がつくことがある
そんな時 わたしは急いで
その人の 心の中をたずねて
ごめんなさい
と いいながら
消しゴムと
えんぴつで
ことばを修正していく
母 Ⅰ
亡くなった母と同じ
九十二歳をむかえた今
母のことを思う
老人ホームに母をたずねるたび
その帰りはつらかった
母をいつまでも見送る
母
どんよりとした空
風にゆれるコスモス
今もはっきりおぼえている
母 Ⅱ
母のあとを
風車を かざしながら
追いかけていく
風は優しく 陽はあたたかかった
ふりむく母の笑顔に
安どしながら
早く大人になって 孝行したい
そう思ったものだ
母のとしを とうに越して
今 私は
初夏の風に 吹かれている
若い母の声が聞こえる
私 Ⅰ
九十を過ぎてから
詩を書くようになって
毎日が 生きがいなんです
体は やせ細って いるけれど
目は 人の心を 見抜けるし
耳は 風のささやきが よく聞こえる
口はね とても達者なの
「しっかり
してますね」
皆さん
ほめて下さいます
それが うれしくて
またがんばれるの私
思い出 Ⅰ
子どもが
さずかったことを
告げた時
あなたは
「ほんとか うれしい
おれはこれから
まじめになって
はたらくからな」
そう 答えてくれた
かたを並べて
さくら並木の下を
帰ったあの日
私の 一番
幸福だった日
思い出 Ⅱ
子どもと手をつないで
あなたのかえりを
待った駅
大勢の人の中から
あなたをみつけて
手をふった
三人で戻る小道に
キンモクセイの甘い香り
どこかの家から流れる
ラジオのうた
あの駅あの小道は
今でも元気で
いるかしら
朝はくる
一人で生きていくときめた時から
強い女性になったの でも 大勢の人が
手を差しのべてくれた
素直に甘えることも 勇気だと わかったわ
(私は不幸せ・・・)
ためいきをついているあなた
朝はかならず
やってくる
あさひも
射してくるはずよ
生きる力
九十を超えた今一日一日が
とても いとおしい
ほおをなでる風
友人からの電話
たずねてくれる友達
それぞれが私に
生きる力を与えてくれる
あなたに Ⅰ
出来ないからって いじけてはだめ
私にだって 九十六年間
出来なかった事は山ほどある
父母への孝行 子供の教育 数々の習い事
でも 努力はしたのよ
精いっぱい
ねえ それが大事じゃないかしら
さあ立ちあがって
何かをつかむのよ
悔いを 残さないために
忘れる
歳をとるたび
いろいろなものを
忘れてゆくような
気がする
人の名前
いくつもの文字
思いでのかずかず
それを さびしいと
思わなくなったのは
どうしてだろう
忘れてゆくことの幸福
忘れてゆくことへの
あきらめ
ひぐらしの声が
聞こえる
くじけないで
ねえ 不幸だなんて
ため息をつかないで
日ざしや そよ風は えこひいきしない
夢は
平等に 見られるのよ
私つらいことがあったけれど
生きていて 良かった
あなたもくじけずに
返事
風が 耳元で
「そろそろあの世に行きましょう」
なんて 猫なで声でさそうのよ
だから 私
すぐに返事したの
「あとすこしこっちにいるわ やり残した 事があるから」
風は
困った顔をして
すーっとかえっていった
秘密
私ね 死にたいって 思ったことが
何度もあったの
でも詩を作りはじめて
多くの人にはげまされた
今はもう
泣きごとはいわない
九十八でも
恋はするのよ
夢だってみるの
雲にだってのりたいわ